貯金を全額おろして折りたたみ自転車を買った女子大生が、1年後には太平洋から日本海まで自転車で走っている。
書いてて意味がわからないが、読んでると「まあそうなるよな」と納得してしまう。
それが『ろんぐらいだぁす!』という作品の恐ろしさだ。
三宅大志による自転車漫画で、月刊ComicREX(一迅社)にて2012年から連載開始。全10巻。2019年から月刊ブシロードに移籍して『ろんぐらいだぁすとーりーず!』として続編が連載されている。
2016年にはアクタス制作でTVアニメ化もされた。シリーズ累計100万部突破。漫画10巻とアニメ全話、両方見た上で書く。
折りたたみ自転車に一目惚れするところから始まる

私はアニメから入った。
運動音痴の女子大生・倉田亜美が、駅前で折りたたみ自転車に一目惚れして貯金全額おろして買ってしまう。その衝動が最初の入口。
大学1年生がいきなり全財産ぶっ込む軽率さに「あ、この子は沼にハマるタイプだ」と直感的にわかる。
で、案の定ハマっていくのだが、この作品のいいところは初心者が踏む地雷を全部踏ませるところだ。
初サイクリングで朝食を抜いてハンガーノック。汗をかきすぎて両足が攣る。ヤビツ峠に挑戦して途中リタイア。
折りたたみ自転車でロードバイクの集団についていこうとする無謀。ひとつひとつの失敗がいちいちリアルで、読んでいて「ああ、そうなるよな」とうなずいてしまう。
自転車で下り坂を飛ぶ描写があるのだが、これが怖い。
私は峠じゃないけど下り坂で縁石にぶつかって飛んだことがある。あの浮遊感は本当に怖い。だからこの作品の「自転車はいいことばかりじゃない」という描き方には信用がある。
楽しさだけ見せて沼に引きずり込む作品はたくさんある。
でもこの作品は失敗も痛みも全部見せた上で、それでも「次はもっと走れるかも」と思わせる。
亜美がそう思うから、読んでるこっちもそう思ってしまう。そういう構造になっている。
気づいたら距離感覚がぶっ壊れている

1巻のラスト、4人でサイクリングに出かけて海の景色で終わる。最初はそれくらいの距離感だ。
ところが巻を追うごとにスケールがおかしくなっていく。
ロードバイクを手に入れた亜美は、160kmのサイクルイベントに参加する。
漫画ではセンチュリーライド、アニメでは秋に合わせてオータムライド。
名前は違うが、初心者が160km走るという事実は変わらない。
しかもこれがまだ序盤だ。
ナイトライドで夜通し走る。ヤビツ峠にリベンジする。
チームジャージを作って本格的にのめり込んでいく。
6巻では渋峠に挑戦し、7巻では標高2702m、自転車で登れる日本最高地点の乗鞍岳に登る。
1年前に折りたたみ自転車で足を攣っていた子がだ。
そして9巻から始まるCOAST TO COAST編。
亜美と葵の二人で太平洋から日本海まで走る。約360km。
数字だけ見ると前半のセンチュリーライド160kmの倍ちょっとだが、これは一日で終わるイベントじゃない。睡眠も食事も挟みながら何日もかけて走り続ける旅だ。
もう距離がkmで測れなくなっている。
紗希に至ってはkmじゃなくて県から県、地域から地域という単位で動いている。どれだけ自転車に乗るんだという話だが、読んでいるとこの感覚に慣らされてしまう。
これがこの作品の一番恐ろしいところだと思う。
亜美と一緒にステップを踏んでいるから、読者の距離感覚も一緒にバグる。
最初は「160kmとか正気か?」と思っていたのに、10巻あたりまで来ると「200kmか、まあブルベの基本距離だしな」くらいの感覚になっている。
いつの間にか自転車乗りの価値観に染まっている。
ファンの間で「ゆるふわ詐欺」と呼ばれているが、詐欺られているのは読者の距離感覚もだ。
漫画とアニメ、両方見ると発見がある

アニメから入って漫画を読むと、最初は「基本的な流れは同じだな」と思う。
でも読み進めるうちに「あれ?」が増えてくる。
一番びっくりしたのが弥生のセリフ量の違いだ。
漫画の弥生は本当に存在感がない。
吹き出しすらないコマがあるし、3巻の最後あたりでまともなセリフが出てきたとき「久しぶりだな」と思ったくらいだ。
ところがアニメだと弥生のキャラがかなり濃くなっている。
漫画で雛子が言っていたセリフが弥生に移っている場面がいくつもある。
構成の違いも面白い。
漫画ではバイトの話は4巻の番外編でさらっと処理されるのだが、アニメはバイトをしてからロードバイクを買うという流れに組み直している。
「働いてやっと買えた」という手順を踏ませることでロードバイク購入の重みが増す。
元々の材料をうまく使って料理してる感じがする。
他にも細かい違いがたくさんある。
亜美の最初の折りたたみ自転車の名前が漫画ではPONTIAC、アニメではPONTICになっている。チームフォルトゥーナのチーム名を決めるくだりはアニオリだし、サイクリングチームのジャージデザインも漫画とアニメで違う。
160kmイベントでは、漫画だと紗希は北海道のブルベに参加していて欠席なのに、アニメだと普通にいる。こういう発見は両方見ないと出てこない。
全体的に、アニメはサイクリングの臨場感と仲間意識の描写に振り切っている。
走っている過程の描写が多いから緊迫感がある。
ヤビツ峠のリベンジもアニメの方が丁寧で、登り切ったときの達成感が大きい。
漫画は亜美視点の没入感が強く、サイクリング知識も多い。アニメの方がわかりやすい言葉を使っている分、漫画は自転車乗りとしての専門的な手触りが残っている。
アニメの方が仲間の視点が増えていて、雛子視点で亜美を気遣う描写が追加されていたりする。漫画は基本的に亜美の目を通して世界が広がっていく。
どちらが良いという話ではなく、同じ素材から違う良さが引き出されている。
エピソード単位のアニオリは実は少なくて、元々ある材料の配置と分量を変えているだけ。
その調整がうまいから、両方見ると「なるほどここをそう変えたか」という発見がある。
アニメは綺麗にまとまっているし、漫画はアニメの先の物語——佐伯とのツーリング、妹たちの参入、日本横断——が待っている。
どっちから入ってもいい。でも片方だけで終わるのはもったいない。
作者が自分の足で走っている作品

この作品の失敗描写がやたらリアルなのには理由がある。
主人公・亜美のモデルは作者の三宅大志本人。紗希のモデルは担当編集者。作中に登場する全てのロケーションは、作者か担当が実際に自転車で走って取材している。
ツーリングガイドによれば、担当いわく「作者が体張ってる度では日本で3本の指に入る」とのこと。
つまり亜美が経験するハンガーノックも足の攣りも峠での挫折も、作者自身の体験が下敷きにある。
紗希が北海道に行っていると作中で言われているタイミングで、紗希のモデルである担当が実際に北海道のブルベに参加していたりする。フィクションと現実の境界がやたら曖昧な作品だ。
作者自身も2014年に200kmのブルベを完走していて、亜美と一緒に成長している。
キャラクターたちが着ているFORTUNAジャージは実際に商品化されているし、作中に出てくる雛子の実家のモデルとなった中華料理屋は実在する。
自転車漫画は他にもある。レースの熱さを描く『弱虫ペダル』、女子高生の自転車部を描く『南鎌倉高校女子自転車部』。
でも「趣味として自転車に乗る楽しさと苦しさを、作者の実体験ベースで描いている」という点では、この作品は独自のポジションにいる。
競技じゃない。部活でもない。
大学生が趣味でサイクリングをして、少しずつ遠くまで走れるようになっていく。
それだけの話なのに10巻読み通してしまうのは、その「それだけ」の中に本物の手触りがあるからだと思う。
もう走ってる人も、まだ走ってない人も

この作品を読んで自転車を買ってしまった人が実際にいる。漫画を読んでロードバイクを買い、日本一周を完走した人もいる。
そういう影響力のある作品だ。
正直に言うと、私も読んでいて自転車に乗りたくなった。
自転車にはいろいろ規制も入ったし、気軽に始められるかというとそうでもない。
でもこの作品を読んでいると、自然の中を自分の足で走る旅というものに妙にワクワクしてしまう。亜美たちが峠を越えた先で見る景色とか、エイドで食べるご飯とか、ナイトライドの夜明けとか。
あの体験を自分もしてみたいと思わせる力がある。
でも、自転車に乗らなくても楽しめる。
亜美たちがやっていることの核は「自分の足でどこまで行けるか試してみる」ことだ。
競技で勝つことじゃない。
ポタリングでもいいし、パン屋に寄り道するだけでもいい。
同じところを繰り返すよりも、まだ行ったことのない場所に挑戦する。
その繰り返しで世界が広がっていく感覚が、この作品にはある。
漫画は新装版(ブシロードメディア発行 / KADOKAWA発売)が全巻刊行済みで、各巻に新規エピソードが追加されている。電子書籍でも読める。
続編の『ろんぐらいだぁすとーりーず!』は現在2巻まで刊行中。アニメはdアニメストア、U-NEXT、Amazonプライム・ビデオなど各配信サービスで視聴できる(※配信状況は時期により変動する場合あり)。
漫画とアニメ、どちらから入っても問題ない。個人的にはアニメから入って漫画に行くルートが、前述の「違い探し」も含めて二度おいしいと思う。
ただしアニメは5巻あたりまでの内容なので、その先の物語——佐伯とのツーリング、妹たちとのサイクリング、日本横断——は漫画でしか読めない。
折りたたみ自転車に一目惚れしたところから始まって、気づいたら太平洋から日本海まで。
その過程を一緒に走ってみてほしい。


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