解と封は、本当に「ツガイ」なのか。
12巻まで読んでアニメも追って、何周か読み返すうちに、この疑問がどんどん大きくなった。通常のツガイの契約ルールと並べると、解と封だけ明らかにおかしい。
この記事では、解と封の契約の異常さを軸に、400年前の事件、西の村、黄泉比良坂の神話構造までつなげて考えていく。
解と封は本当に「ツガイ」なのか

通常のツガイの契約ルール
まず前提を整理する。
ツガイは2体1組の存在で、本尊に主となる人物の血がかかると契約が成立する。契約後は現世に顕現し、主に付き添う。
主の命令に原則従うが、立場は対等だ。心があり、気に入らない主を食ってしまうこともある。
主が死亡すると契約は自動解除され、野良ツガイとなる。野良のまま何百年も経つと消滅するため、ツガイは基本的に主の身を守ろうとする。
1人の主が複数ツガイを持つことも可能だが、相性の問題から1人1ツガイが基本だ。
ここまでは明快なルールで、作中の多くのツガイがこれに従っている。
では、解と封をこのルールに当てはめるとどうなるか。
解と封の契約はどこが「おかしい」のか
ほぼすべてのルールから逸脱している。
まず契約の成立条件が違う。通常は本尊や顕現した体に血をかける。
解と封の場合は一度死んで黄泉比良坂に行き、そこで出会う形をとる。
少なくともアサの場合は口頭のやり取りで成立しており、血の儀式は経ていない。
契約後の振る舞いも違う。通常のツガイは現世に顕現して主のそばにいるが、解と封は通常のツガイのように常時現世で主に付き添う存在としては描かれていない。
アサの場合、解は右目に宿っているように見え、横に立っているわけではない。
主を守る意思も見えない。
400年前にあさひが解の力を得て戦場に出たが、あさひは射抜かれて戦死した。
通常のツガイなら主の死は自身の野良化に直結するから全力で守るはずだが、あさひが特に守られることなくあっさり戦死した事実は、解にそのつもりがない可能性を示唆している。
通常の野良ツガイと同じ扱いになるとは限らず、黄泉比良坂に紐づいた存在のようにも見える。
契約の構造そのものもおかしい。
通常のツガイは2体1組で1人の主に仕える。
解と封は番であるはずなのに別々の人間と組み、アサ+解、ユル+封という形になる。
ツガイの「番」という概念から完全にずれている。
解との契約は他のツガイ契約を阻害しない
さらに引っかかるのが、アサは解と契約した状態で陰陽とも契約しているという事実だ。
通常は相性の問題から1人1ツガイが基本であり、11巻で複数契約の難しさも描かれている。
にもかかわらず、解との契約は通常のツガイ契約とまったく干渉する様子がない。
これらを総合すると、解と封を「ツガイ」と呼んでいるのは人間側の便宜であって、実態は通常のツガイとは根本的に異なる存在なのではないかと考えたくなる。
通常のツガイが「契約で現世に留まる存在」だとすれば、解と封は「黄泉比良坂そのものに紐づいた存在」で、力が主の体を通して現世に干渉しているだけ——という見方もできる。
「契約」というよりは「通路が開いた」「力を貸す」に近いのかもしれない。
「解と封を得られる権利」──左さんの言い回し
左さんは「解と封を得られる権利」という表現を使っている。
「契約」ではなく「権利」。
左右様は解と封の天敵である以上、その関係について重要な情報を持っている可能性が高い。
その左右様が「権利」と呼ぶなら、やはり通常のツガイ契約とは別物なのだろうか。
解と封という名称自体が正式名称なのかもわからない。
ただ、解が封のことを「封」と呼んでいる描写があるので、彼ら自身はその名で認識しているらしい。
いずれにせよ、解と封についてはわかっていないことのほうが圧倒的に多い。
そしてそれを知っていそうな左右様に、作中の登場人物たちはなぜかちゃんと聞いていないのが気になる。
もう少し聞けることがあるのではないのか。
左右様という存在

左右様は解と封の天敵であり、1000年以上の歴史を持つ。
解と封についてかなり古い情報を持っている可能性が高い存在だ。
解の天敵は右様──封の天敵は左様
アサは右目が変化し、右手で解の力を使う。その解の天敵が右様だ。
この対応関係を封の側にも当てはめるなら、ユルが封を得た場合は左目が変化し、天敵が左様ということになる。ユルの前髪が長い方は左側なので可能性としては高い。
一応、左様が封の天敵というのは作中で確定している。
天敵の力をどう見るか
右様がアサの解を無効化した場面では咆哮が用いられた。
一方、左様が石の状態になって敵の攻撃を止めた場面がある。
ただし、ユルはまだ封の力を得ていない。
左様が「封の天敵」として封を抑え込んだ描写は作中にまだ存在しない。
左様が石になって敵を止めた場面が封の天敵としての力の片鱗なのかもしれないが、あくまで推測の域を出ない。
作中で解と封は明らかに「別格」。
その天敵となる左右様が強力な存在であることは作中描写からも読み取れるが、解と封を凌駕する力を持っているかどうかは別の問題だ。
天敵とは「暴走を止める」存在であり、「上回る」存在とは限らない。
なぜ左右様は東村にいるのか
醍醐は「西の村は聖地」と述べている。
黄泉比良坂に近い西の村が聖地なら、左右様もそちらにいるほうが自然に思える。
左右様は本来、運命の双子ではなく第三者が持つべき存在だとされている。
400年前の先代の主は大人で、双子が住む村を治める殿様だった。
運命の双子とは別の人間が、左右様を管理する役目を担っていたということだ。
後述する地理的な構造を踏まえると、左右様は「東村の守り神」であると同時に、解と封を管理する役割を担っている可能性がある。
力の源泉から離れた東村に番人を配置するという構図だ。
ただ、そうなると別の疑問が浮かぶ。
なぜ運命の双子は西だけではなく東村で生まれるのか。左右様のいる場所に双子が生まれるのか、双子が生まれる場所に左右様が配置されるのか。因果の方向がわからない。
さらに言えば、東村以外にも運命の双子を輩出する村がある可能性はないか。
黄泉に近い場所と双子の出生に関連があるのだとすれば、西の村や東村だけが特別ではないかもしれない。
左右様は知っているのに重要だと気づいていない
1000年以上生きてきた存在だ。見てきたもの、知っていることの量は計り知れない。
ところが左右様は、自分が持つ情報の重要性に気づいていない節がある。
聞かれれば答えるが、自分からは語らない。
人間にとって何が重要かのスケール感が、そもそも違うのだろう。
解と封について正面から聞いたら、まだ誰も知らない情報が出てくるのではないか。
黄泉比良坂と千引岩──この作品の神話的な土台

作品世界の根幹に日本神話の構造がある。とくに黄泉比良坂と千引岩の神話は、解と封の成り立ちそのものと重なる部分が多い。
千引岩=「封」の原型
日本神話で、イザナギは死んだ妻イザナミを追って黄泉の国に行く。しかしイザナミの変わり果てた姿を見て逃げ帰り、黄泉比良坂の出口に千引岩を置いて黄泉の入口を封じた。
この「封じた」という行為が、封の原型に見える。
重要なのは、封じたのは現世の側にいるイザナギだという点だ。イザナギは黄泉から現世に戻り、現世の側から千引岩を置いた。千引岩の構造に従うなら、封は「黄泉に留まる力」ではなく、「現世から黄泉を閉じる力」として機能している可能性がある。
一方、封じられた側のイザナミは黄泉から怒りを解き放った。封じる力と、封じられた側から解き放たれる力。この構造が封と解の関係と重なる。
作中の黄泉比良坂の描写も神話を踏まえている。ドクロが数珠つなぎになった道の上にアサが立ち、巨大なドクロの頭上に大木が生えている。荒川先生のスケッチによると、この大木は桃の木だ。イザナギが黄泉から逃げる際、追っ手に桃の実を投げて退けた神話と一致する。
封=男、解=女が2回続けて一致している
400年前は夜太郎(男)が封の側、あさひ(女)が解の側。現在はユル(男)が封の側、アサ(女)が解の側。2回連続で同じ対応だ。
千引岩の神話では、イザナギ(男)が封じ、イザナミ(女)が解き放った。2例ともこの男女の対応と一致している。
ただし2例だけでは偶然の可能性も排除できない。過去の双子についてさらに情報が出てくれば確定するだろう。
この対比は視覚的にも徹底されている。夜の中で目立つユルの金色の髪と、昼の中で際立つアサの黒髪。アニメのオープニングには彼岸花が描かれ、左右様のカラーリングも白と赤が基調だ。赤い目、彼岸花、黄泉——色彩のレベルでも「対」が組み込まれている。
神代七代との関連
日本神話の神代七代は、男女の対の神々として現れる。国常立尊と豊雲野尊の後、角杙神と活杙神、意富斗能地神と大斗乃弁神と、対の構造が続く。
ツガイという存在は「対」を本質とするものだが、この作品の「対」の思想が神代七代にまで遡れるのかどうかは気になるところだ。直接の元ネタかは不明だが、作品世界と日本神話の親和性の高さを考えると、意識されている可能性はある。
黄泉比良坂→西の村→東村──西から東への力の道筋
地理的な配置を見ると、興味深い構造が浮かび上がる。
黄泉比良坂は島根にあるとされている。西の村は西野湖ダム、関ヶ原の真横だ。東村はさらに東の山奥にある。
力の源泉(黄泉比良坂)が最も西にあり、聖地(西の村)がその東に隣接し、左右様のいる東村がさらに東にある。西から東へ一直線に並んでいるように見える。
千引岩の神話を重ねると、この配置が意味を持ってくる。イザナギは黄泉から東へ逃げた。千引岩で黄泉を封じた後、現世=東の側に去った。
左右様が東村にいるのは、黄泉から流れ出る力を現世の側から押しとどめる構造だと読めなくもない。この読みが正しければ、「西の村が勝つ」という言葉の射程はかなり大きくなる。
400年前に何が起きたのか

約400年前、慶長出羽合戦の時代に東村で運命の双子が生まれた。あさひ(女)と夜太郎(男)。殿様・紫明は解と封の力を得させるために二人を斬り殺した。
あさひは解の力を得て生き返ったが、夜太郎は生き返らなかった。
夜太郎は封の力を手に入れていない可能性
正確に読むと、紫明が夜太郎を殺したのは「封の力を得ることを期待して」であり、「得た」とは明言されていない。
夜太郎は黄泉比良坂で封と出会ったかもしれないが、契約できずに(あるいは契約せずに)そのまま死んだ可能性がある。
もし夜太郎が封の力を得ていないなら、封は400年間ずっと未契約のまま黄泉比良坂にいることになる。
ここからカムガカリにも仮説が生まれる。
封が主を持たないまま存在し続けているから、行き場のない力が「巫女」に漏れ出す。
契約相手がいれば力はその相手向かうが、主がいないから一部が溢れ出てしまう。
生き返らなかった理由
いくつか考えられるが、どれも推測の域を出ない。
紫明に利用されるために殺された人間が、その殿様のために生き返りたいと思うかという動機の問題がまずある。封との契約自体が成立しなかった可能性もある。
千引岩の構造を踏まえるなら、封は「現世側から黄泉を封じる力」だ。
だとすると、封の力を得た者は本来、現世に戻るのが自然だという見方もできる。
それでも生き返らなかったのなら、力の性質とは別のところに理由がある——たとえば本人の意思か、あるいはまだ明かされていない条件が存在するのかもしれない。
ヤマハおばぁの400年
ヤマハおばぁは400歳。
西の村出身で、カムガカリによって封の力の一部を使い、寿命を封じて不老となった。
東村を結界で隔離し、400年間維持してきた。
アニメ第1話で結界を閉じるシーンを見返すと、ヤマハおばぁが力を使っている描写がある。
初見では気づかないが、設定を知った上で見ると伏線だとわかる。アニメは動きとコマの間の情報が濃く、こうした細部の発見が多い。
「力の一部が降りてくる」という表現が重要だ。ツガイとの契約ではない。降りてくる。
カムガカリは封との契約状態ではなく、封の力が漏れ出した結果を受け取っているともみれる。
だから行使できる力には限界がある。
ヤマハの姉の仕込み
ヤマハの姉は400年前に生まれた人物だ。
不老者を増やし、直近では自分の子供の感情を封じるなど、長い時間をかけて具体的な準備を重ねてきた形跡がある。
降りた力の量もかなり多い可能性がある。
西の村とは別の思惑を持っているように見え、西の村の解放に関わっているのか独自の計画を持っているのか、現時点では判断がつかない。
つかみどころのなさが不気味だ。
西の村は何に「勝つ」のか

西の村は400年前の慶長出羽合戦で西軍側に力を貸して敗北し、焼かれて滅びた。
跡地はダムに沈んでいるが、封の力の結界でダムの下に存続している。
黄泉のツガイによる西の村解放
醍醐が語った計画はこうだ。
西の村は封の力で封じられている。その結界を解の力で解放し、すぐに封の力で封じ直す。
解と封の双方が必要になるため、400年間、運命の双子が生まれるのを待った。
「勝つ」の射程
ここで先ほどの地理的配置が意味を持ってくる。
黄泉比良坂から西の村へ、西の村から東村へ。
西から東への力の流れがあり、東村の左右様がそれを押しとどめている——という読みを前提にすると、西の村が「今度こそ勝つ」というのは、東村に勝つという話よりも射程が大きいのではないか。
作中で「運命の双子が生まれると世が割れる」と言われている。
約400年前は東西に、さらに昔は南北に割れた。
400年以上前も裏で関わりがあった可能性がある。
関ヶ原はこの大きな流れの中の衝突のひとつにすぎず、西の村の「勝利」は、400年間封じられてきた力の流れそのものの解放を指しているのかもしれない。
首を求める理由
双子に協力を求め、聞かない場合は殺して首だけでいいと言った。
解が右目に宿っている描写を踏まえると、西の村側は「首から上だけでも何らかの利用価値がある」と考えているのかもしれない。
ただし、首だけで解の力を使えるかどうかは作中では確認されていない。
タマコロガシが人間から新たなツガイを生み出せることとの関連も考えたが、別格とされる解と封の力をタマコロガシで再現できるかは疑わしい。
両親の行方──この物語最大の空白

ユルとアサの両親は10年前に東村を逃げ出し、影森家に保護された後、母の故郷に向かう飛行機の中で忽然と消えた。12巻まで行方不明のままだ。
母は沖縄出身
母は東村の人間ではなく、沖縄出身だ。作中でロウエイはカムガカリを「沖のユタのようなもの」と説明している。
カムガカリは女性にしか降りないとされており、もし母にその素養があったとすれば、「運命の双子の母がカムガカリの巫女」という状況になる。偶然とは考えにくい組み合わせだ。
父は東村の抜け道を知っていた
父が東村から脱出するときに抜け道を知っていた。
ユルの先祖をたどると、400年前に殿様・紫明を騙して殺した狩人に行き着く。
双子を殺しまわる殿様の狂気を止めた側の人間だ。
抜け道の知識が先祖から受け継がれていたとすれば、ユルの家系は東村の中で特殊な立ち位置にあったことになる。
イワンが斬ったのに生き残った
イワンがユルの両親を刀で斬ったのは事実らしい。だが二人は生き残った。
イワンは左右様と互角に戦える実力者だ。
そのイワンが斬って生き残るのは普通ではない。しかもイワンはそれを隠している。
気になるのは、なぜ実力者のイワンが二人を仕留め損ね、さらにその事実を周囲に伏せているのかという点だ。
囮にでも使えばいいのに、そうしない。
両親の側にイワンを退けるほどの何かがあった可能性も考えられる。
12巻時点で両親はまだ姿を見せていない。これだけ長い空白は、出てきたときに物語の根幹に関わる展開がある——あるいは裏で何かを動かしている可能性を示唆している。
この物語はどこに着地するのか

解と封の力自体をなくす方向
封の力で封自体を封じるのは論理的なパラドックスを含む。
封じている最中は力が必要であり、封じ終わった瞬間に力が消えるなら封も解ける。
単純な「封印エンド」は成立しにくい。
むしろ、解と封が生まれる仕組みそのものを解消する方向のほうが物語として筋が通る。
荒川弘の前作『鋼の錬金術師』では、エドは最終的に錬金術を手放した。
力で問題を解決するのではなく、力の構造そのものと決別する着地だ。
『黄泉のツガイ』も同じ方向に向かうのではないか。
解と封の双子が同時に力を行使して、黄泉比良坂の構造に干渉する。あるいは左右様が鍵になる。
天敵として解と封の暴走を止める力を持っているなら、双子と左右様が協力することで力の構造を中和できるかもしれない。
解と封がなくなれば、運命の双子を狙う理由もなくなる。影森の当主ゴンゾウもそれを望んでいた。
影森家と東村の人間たち
誰が敵かわからない構造
この作品の巧みさは、全勢力にそれぞれの正義があることだ。
東村は双子の力で天下を取ろうとする。影森家は双子を保護しているが一枚岩ではない。西の村は400年の恨みを抱えている。
イワンの真意、ヤマハの姉の思惑、アキオの裏切りと、勢力間の信頼関係は常に流動的だ。
影森家の直系は、ゴンゾウがジンを守って死んだことに象徴されるように、根のところで情が深い。
双子を殺しまわった殿様を見限って村を出た家系の血だと考えると、納得がいく。
ただしその中にも新郷のような人間がいるわけで、「影森だから味方」とは言い切れない。
デラさんが左右様の鍵を持っていた意味
デラさんは元傭兵であり、番小者として東村と下界をつないでいた。アニメでの動きを見ると、その身のこなしはまさに傭兵のそれだ。
左右様の結界を解く鍵を持っていたのがデラさんだという点は見逃せない。ユルを隠し通路経由で左右様のもとに導き、契約させた。
あの状況ではそうするしかなかったとも言えるが、なぜ自分で契約せずユルに契約させたのか。何か意図があったのかもしれない。
補足:ツガイ一覧──全35組
ここからは補足として、作中に登場するツガイの名前と元ネタを整理する。
名前はツガイ名は元の名前がある場合をそちらで記載し、通称の方に現主人がつけた名前を載せる。
| ツガイ名 | 通称・個体名 |
|---|---|
| 左右様 | 左さん・右さん |
| 座敷童 | ダンジ・キリ |
| オシラサマ | — |
| ひっつきもっつき | — |
| かめちゃんうさちゃん | — |
| 陰陽 | — |
| マガツヒ | 大凶・小凶 |
| 矛盾 | — |
| えっさほいさ | — |
| 前虎後狼 | 二郎・虎徹 |
| 牛頭馬頭 | — |
| サドマゾ | ドS・ドM |
| ヤマノカミ | 山風・谷風 |
| 百鬼夜行 | — |
| 愛ちゃん・誠くん | — |
| 天と地 | — |
| 閻魔帖(ブラックリスト) | — |
| 百手(ももがて) | — |
| うやむや | — |
| 金烏玉兎 | 朝霧・夜桜 |
| 黒白(こくびゃく) | — |
| 偕老同穴 | — |
| 狐狸変化 | 赤井さん・みどりさん |
| ガブちゃん | ジョー・ウィリアムフレデリック・ガブリエルⅠ世、カーク・ダグラス・ウォルドグレイヴ・ガブリエルⅡ世 |
| 手長足長 | — |
| レディー・ジェントルマン | — |
| 宇宙人 | 名前は人間には発音も聞き取りもできない |
| マメガラス | ウチマタ・ガニマタ |
| なもみはぎ | — |
| 風神雷神 | — |
| ゴッコイタチ | — |
| 災神 | 雫・篝 |
| 魂コロガシ | タロウ・ヒメ |
| 裁きの目(ジャッジメントアイ) | ソドム・ゴモラ |
| マヨイガ | — |
元ネタ・由来が推測できるもの
左右様。 本尊は東村入口に対で置かれた石像で、狛犬の姿をしている。
本気で力を出すとき「阿」「吽」と言う描写がある。
狛犬は神社の門に対で置かれる守護獣で、片方が口を開けた「阿形」、もう片方が口を閉じた「吽形」。解(開く・解き放つ)と封(閉じる・封じる)の天敵という役割との対応を連想させるが、公式に元ネタが明言されているわけではない。
オシラサマ。
東北地方で広く祀られる家の神・農耕神で、蚕の神としても知られる。
元々の伝承では、農家の娘が馬と恋仲になり、怒った父親が馬を殺して首を木に吊るしたところ、娘が馬の首にすがって天に昇り神になったという悲恋譚だ。作中のオシラサマに馬の首の切られた跡があるのは、この伝説を踏まえていると考えられる。
左右様とは古くからの友人で、伝説級の存在とされている。
前虎後狼(二郎・虎徹)。
修験道の開祖・役小角が従えたとされる前鬼・後鬼が元ネタと思われる。
前鬼と後鬼は夫婦の鬼で、役小角に調伏されて以降その従者となった。
番小者という存在自体が役小角的だ。山を行き来して東村と下界をつなぐ段野家と田寺家は、修験者の系譜に重なる。
マガツヒ(大凶・小凶)。
禍津日神は日本神話でイザナギが黄泉から戻って禊をした際、穢れから生まれた神だ。
黄泉の穢れそのものを起源とする存在であり、この名がイワンのツガイについていることは意味深い。
マガツヒが西の村において左右様と対になる存在——いわば「西の左右様ポジション」である可能性も考えられる。
なお、大凶・小凶という通称については三国志との関連も考えられるが、確証はない。
かめちゃんうさちゃん。
イソップ寓話「うさぎとかめ」を連想させる。寓話の中ではライバルだった二匹がツガイになっているのが面白い。
うさちゃんは超高速移動、かめちゃんは重量操作と、見た目に反した能力の落差も寓話の教訓と通じる。
金烏玉兎(朝霧・夜桜)。
中国の故事に由来すると思われる。金烏は太陽に住む三本足のカラス、玉兎は月に住むウサギで、太陽と月——昼と夜の対を意味する。
通称の朝霧・夜桜も朝と夜で対になっている。
牛頭馬頭。
仏教における地獄の獄卒を連想させる。
牛の頭と馬の頭を持つ二体一組の鬼で、亡者を責める役割を担う。
なもみはぎ。
秋田のなまはげを強く思わせる。荒川先生は現地取材を行っており、もともとなまはげは両人とも包丁を持っていたが、明治頃から片方が御幣持ちに変わったというエピソードをキャラクターに反映させているとされる。
座敷童(ダンジ・キリ)。
東北地方の伝承に登場する、家に住み着く子供の姿の精霊に由来すると思われる。
座敷童がいる家は栄え、去ると衰退するとされる。
百鬼夜行。
日本の伝承で、夜中に様々な妖怪が群れをなして行進する現象に由来すると思われる。
作中ではツガイ同士の仲を取り持つ能力を持ち、複数契約を可能にする。「百の鬼が行進する」の名と、大量のツガイを統率できるという能力の対応が巧みだ。
狐狸変化(赤井さん・みどりさん)。
狐と狸の化かし合いの伝承を連想させる。
狐と狸はどちらも変化の術を使う妖怪として知られる。
風神雷神。
風の神と雷の神。
俵屋宗達の屏風画でも有名な対の存在に由来すると思われる。
偕老同穴。
中国の故事で、夫婦が共に老い同じ墓に入るほど仲むつまじいことを表す言葉に由来すると思われる。
裁きの目(ジャッジメントアイ) / ソドム・ゴモラ。
旧約聖書で神の裁きによって滅ぼされた二つの都市を踏まえた命名と考えられる。
マヨイガ。
遠野物語に登場する迷い家に由来すると思われる。
山中に突然現れる無人の豪邸で、そこから物を持ち帰ると幸福になるとされる。
作中でもロウエイのツガイとして家の姿をしている。
魂コロガシ(タロウ・ヒメ)。
糞転がし(フンコロガシ)が元ネタと思われる。
糞を丸めて転がす虫が、人間の「魂」を団子にして新たなツガイを生み出す——という読み替えだ。
手長足長。
日本各地に伝わる妖怪を連想させる。
手の長い者と足の長い者の二体一組で、互いの長所を組み合わせて行動するとされる。
元ネタが不明・オリジナルと思われるもの
サドマゾ、ひっつきもっつき、えっさほいさ、うやむや、ゴッコイタチなどは日本の伝承上の明確な元ネタが見当たらない。荒川弘のオリジナルネーミングと考えられる。
ツガイの名前には伝承由来のものとオリジナルが混在しており、この混在自体が世界観を支えている。ツガイは古今東西のあらゆるものから生まれうる存在であり、日本の伝承だけに縛られない。宇宙人のツガイが存在し、その名前が人間には発音も聞き取りもできないという設定が、その象徴だ。
気づき
ツガイには影がない。 出そうと思えば出せるが、基本的にはない。
ダンジの影が1巻の時点から描かれていなかったのは有名な伏線だ。足元がコマの外に出ていたり、馬の影に重なっていたりと、読み返すと徹底されている。
ガブちゃんの本名。 ガブリエルⅠ世・Ⅱ世はツガイの名前であり、ガブちゃんを使役していた人間の本名は出ていない。
ガブリエルの名は大天使ガブリエルと「ガブッ」と噛みつく攻撃方法に由来し、名付けたのはガブちゃん本人の趣味とされている。そのガブちゃん自身の素性が明かされていないのは気になる。
着地──伏線の底が見えない
解と封の契約の異常さ、千引岩の神話構造、西から東への力の道筋、400年前の真実、両親の行方、ヤマハの姉の思惑。
12巻まで読んでアニメまで追って、それでもわからないことのほうが圧倒的に多い。
にもかかわらず、作者の中にはちゃんと全体像があると確信できる。
ダンジの影を1巻から描かなかったこと、アニメ1話でヤマハおばぁの力の使用を入れたこと、黄泉比良坂の桃の木をスケッチに残していたこと。細部まで設計されている。
設定の異常さだけでなく、キャラクターの魅力もこの作品を支えている。
感情的に見えて判断は合理的なユル、兄への執着が強い一方で状況判断は冷静なアサ。
サブキャラまで魅力的で、そのキャラたちのやり取りと世界観の噛み合わせがいい。
今後気になるのは、ユルが封の力をどう得るのか。西の村の解放は何をもたらすのか。
両親が姿を見せたとき物語は何を明かすのか。
そしてこの物語が解と封の「仕組みそのもの」に対してどういう決着をつけるのか。
見返すたびに新しい発見がある。伏線の底がまだ見えない。


コメント